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プロフィール
株式会社MaaS Tech Japan 日高洋祐さん
2005年、東日本旅客鉄道株式会社に入社。ICTを活用したスマートフォンアプリの開発や公共交通連携プロジェクト、モビリティ戦略策定などの業務に従事。2014年、東京大学大学院情報学環・学際情報学府博士課程において、日本版MaaSの社会実装に向けた国内外の調査や実証実験の実施により、MaaSの社会実装に資する提言をまとめる。2018年11月、MaaS Tech Japanを創業し、MaaSプラットフォーム事業などを行っている。共著に「MaaS モビリティ革命の先にある全産業のゲームチェンジ」(日経BP)、「Beyond MaaS 日本から始まる新モビリティ革命-移動と都市の未来-」(日経BP)がある。
MaaSを手段として新たな価値を生む「Beyond MaaS」がひとつのゴール
そもそも、「MaaS」の概念はいつ頃登場したのでしょうか?
フィンランドのベンチャー企業MaaS Global社の創業者であるサンポ・ヒエタネン氏が提唱したコンセプトがMaaS(Mobility as a Service)の起源とされています。すべての移動手段を切れ目なくつなぐことで、社会的な課題を解決していく取り組みですね。
フィンランドでは、MaaSを都市計画のひとつとして多様な移動手段を組み合わせて、人と環境に優しい街を作ろうという観点から始まっています。
元々、ヨーロッパの市街地では、子供たちが自由に遊べる広場や、高齢の方が一休みできるベンチなどを多く取り入れて、自家用車の流入を避ける街づくりが行われてきました。渋滞して空気が悪くなったり事故が起こったりする可能性がある移動手段は、どんなに便利であっても街にふさわしくないという考え方です。街の中心部へも自家用車やタクシーでの移動を前提とした街づくりとは対照的かもしれません。
こうした背景もあって、ヒエタネン氏の呼びかけに政府が応じ、自動車や鉄道、船舶など、事業者ごとに分化していた法律が一本化されるなど環境が整い、世界初のMaaSアプリ「Whim(ウィム)」がスタートしました。「Whim」は、鉄道やバス、タクシー、カーシェアリングやレンタサイクルなど、あらゆる移動サービスが一元管理されていて、アプリで目的地を入力すれば、最適な移動手段・ルート検索から予約・決済までが一括で利用できます。
「Whim」の導入によって、フィンランドでは移動に占める公共交通の割合が大きく伸びたと言われています。自家用車がなくても、同等、時にはそれ以上の利便性を提供することで、人々が自然と公共交通を使うように行動変容を促していったのです。
道路や料金の整備の面で、官民が一体となって取り組むことは重要ですね。
そうですね。フランスのパリやデンマークでは、自家用車に代わる移動手段として電動自転車を推奨し、一部購入費用としてかなりの額を補助したほか、専用道路を整備しました。ここまですると、人々は利便性の高さを理由に電動自転車を選ぶようになります。
政府が大きな変革を主導し、事業者がそれに追随する形でMaaSを進めていくことの意義がわかる好例でしょう。
MaaSは最終的に、どのようなゴールを目指しているのでしょうか?
本や音楽で例えると、AmazonやKindle、Spotifyのように、出版社や音楽レーベルのくくりを越えたプラットフォームを完成させた状態を想像していただくとわかりやすいですね。MaaSでは、複数のモビリティサービスを自由に行き来できる環境を作ることで、移動を便利にし、交通にまつわる諸問題を解決することができます。
ただ、これはあくまでもひとつのプロセスであって、ゴールではないと思っています。
モビリティ領域だけではなく、エネルギー、医療、金融など、あらゆる業種と連携することで、新たな価値を生み出し、より豊かな暮らしの実現を目指す、これがMaaSの最終的な目的だと捉えています。この考え方を私は、「Beyond MaaS」として提唱しています。Beyond MaaSが実現すると、MaaSを手段として多様なビジネスを生み出せるようになります。
日本のMaaSには、地方の人口減少への対応が期待されている
日本におけるMaaSは、今どの程度まで進んでいるのですか?
日本のMaaSも、この数年でかなり進みました。ビジネスで新しい領域ができると、新たなサービスが生まれ、群生化していきますが、しばらくすると2つ、3つに絞られていくものです。日本のMaaSは、今まさにプラットフォーマーが集約され始めたところで、優れたアイディアを持つ事業者が残りつつある状況だと感じています。
また、関西では、鉄道会社7社による広域なプラットフォームができたことで、地域全体でモビリティサービスが統合され、MaaSへの取り組みが進みました。
MaaSは0~4の5段階のレベルに分けられますが、現時点の日本は地域にもよりますが、進んでいるところでレベル2、あるいはレベル3まで来ているといえます。
海外では、環境や暮らしへの配慮がMaaSの源流であるとのことでしたが、日本ではどのような課題感が根底にあるのでしょう。
脱炭素ももちろんありますが、日本独自の課題としては、やはり人口減少です。
特に、都市部の人口過密に対して過疎地域の急速な人口減少は喫緊の課題です。乗客が少なくて路線が維持できずにバスのダイヤがなくなり、運転手も減ってタクシーが走っていない地域も出てきています。過疎地域の高齢者は、免許を返納したら交通手段がないことも珍しくありません。すると、病院にも、買い物にすら自由に行くことができなくなってしまいます。
日本ではこうした問題を解決することが、MaaSに期待されていることでしょう。どんなに強く危機感を持って取り組んでも、タクシー会社だけ、バス会社だけで問題を解決するのは現実的ではなく、持続可能性も低いのです。
確かにそうですね。一方で、連携にあたっては、異なる交通事業者間の利害関係が壁になる気がしますが、日高さんはこの現状をどのように感じていますか?
そうですね。今MaaSに取り組んでいるのは、まさにその交通事業者間の非連携による移動のしにくさを実感したからです。
大学生の頃、入院していた祖父の調子が悪く、講義が終わると毎日のようにお見舞いに行っていました。病院が大学から離れた場所だったので、現地までに乗り継ぎが3、4回あって、電車が遅れたらバスに間に合わない。乗るバスが1本遅れると、祖父のそばにいられる時間はほとんどありません。当時は駅に行くまで、遅延情報を知る方法はありませんでした。
大切な人と過ごす時間を、距離に加えて移動のしにくさが阻んでいると感じ、学んできたものづくりの技術で「移動する」「人と会う」にまつわる問題を解決したいと思って、JR東日本に入社しました。
入社後、痛ましい脱線事故などがあり、さらに東日本大震災やその復旧における経験で、インフラの重要性とともに、鉄道やインフラを維持するためには、テクノロジーの進化を活用したイノベーションの必要性を強く感じたのです。その後、電車の位置情報がわかるアプリの技術開発などを手掛けることに。このときに、あらゆる移動手段の情報も事前にわかれば、人々がもっと快適に移動できるのではないか、不満は残るかもしれないけれど不安は解消できるのではないかと思ったのです。それが、MaaSに移行するきっかけになりました。
JR東日本から独立されたのはなぜでしょうか?
日本のものづくりや交通事業の力を結集して、海外にも通用するようなMaaSプラットフォームを作りたいと思ったのが独立の理由です。元々、日本には世界一の自動車産業のものづくりの力があって、世界一の安全安定オペレーションを誇る鉄道が日々運行している。MaaSのポテンシャルは十分です。
JR東日本という恵まれた環境を捨てたのは、自分にとっても苦しい判断でしたが、退路を断って「MaaSによる、より良い移動社会を創りませんか」と呼びかけていくためには必要なことだと考えました。業界の利害関係を越えて、誰もが便利に移動できる社会を実現したいと思ったからです。
MaaSのプレイヤーの一人として、利害関係を越えた連携を推し進める
事業者間、産業間の連携は、どのように進めているのですか?
鉄道やバス、タクシー、飛行機など、交通に関するあらゆるデータを共通言語化したデータ基盤と、そのデータ基盤をもとに事業者がとるべきアクションを可視化するMaaSプラットフォームを開発・提供しています。
私が起業するきっかけになった電車とバスを乗り継いでの移動のしにくさや、高齢者の移動にどれだけの制限がかかっているかといったことは、各事業者間のデータを集めることで可視化できます。移動の軌跡を病院の受付時間とリンクさせれば、「面会時間に間に合わない」「受付けをして10分で帰宅している」など、当時私が困っていたことまでわかるでしょう。すると、交通の連携はもちろん、病院側でも受付時間の変更など、改善すべきポイントやアイディアがどんどん見えてくるわけです。
各事業者のデータを統合して、交通計画や都市再編などを最適化していくイメージですね。
提供しているデジタルプラットフォームでは、移動データに人口統計や施設情報などを掛け合わせて状況を可視化するMaaSコントローラーによって、最適な交通サービスや施策の実現、異業種間の連携による新たな価値創出をサポートしています。
今の日本は、わかりやすくいうと、コントローラーがないまま「シムシティ」のゲームをしているのに近い状態です。どんどん人口は減り、問題の解決方法をコントロールできないといった状態では、いくら優れたモビリティが誕生してもすぐにゲームオーバーになってしまいます。
そこで、MaaSデータ基盤のコントローラーを提供することで、未来をシミュレーションしながら、あらゆる可能性を試すことができるようになります。データをもとに仮想空間上にまったく同じ環境を再現するテクノロジーのことを「デジタルツイン」といいますが、こうした技術を使ってエビデンスにもとづいたシミュレーションをやりきることで、多くのMaaSプレイヤーと連携して、現実世界で最も良い施策を最短で実行できるようにしていきたいですね。
製造業各社も、MaaSの中で果たせる役割を見つけることが大切だと感じました。
高度経済成長期以降、日本の製造業は「維持する」ことに長く重心を置いてきました。しかし、トヨタが織機からスタートして自動車への転換を遂げたように、自社の強みや、最も効率の良いスキームを見つけて変化していくことは、日本企業が本来得意としているところなのではないでしょうか。
MaaSはモビリティを統合する概念ですが、日本のものづくりの力を活かして技術領域でできることは数多くあります。新しいものを作るのか、既存の技術を何かに転換するのか、自社の原点に立ち返って考えてみるきっかけになればと思います。