Contents 目次
プロフィール
FiberCraze株式会社 代表取締役社長 長曽我部竣也さん
1997年愛知県一宮市生まれ。大学で自身が研究に従事した世界初技術の可能性に惹かれ、仲間とともに製品化を始める。「埋もれていた技術の新たな価値を見出し、社会に繋げることで未知なる可能性を発揮する」という思いのもと岐阜大学大学院在学中の2021年9月、23歳で起業。2023年Forbes 30 Under 30選出。
FiberCraze株式会社 取締役CTO 武野明義さん
岐阜大学工学部化学生命工学科 教授、岐阜大学専門は高分子物性。高分子フィルムあるいは繊維にクレージング現象を利用しナノ多孔構造を作り、機能性を高めた素材の開発を行っている。繊維学会理事も務める。
偶然見つけた、ミクロな穴の可能性
社名にも冠されたクレーズとは、プラスチックなどの高分子材料に開いた微細な穴や亀裂のこと。ひび割れや完全な破壊が起きると材料には空隙(クラック)が生まれるが、初期段階で意図的に破壊を止めると内部の素材が絡み合った状態で保持され、その隙間にナノサイズの穴が生まれる。プラスチックの下敷きに力を加えると、パキンと折れる前に白くなることがあるが、まさにその白化部分にクレーズが発生しているという。
岐阜大学で長年クレーズの研究に携わってきた武野氏だが、このテーマとの出会いは偶然だったという。
「20年以上前のことです。岐阜大学に赴任した当初、別のテーマで扱っていた高分子フィルムを傷つけてしまったのですが、見る角度によって光り方が変わることに気がつきました。この現象をコントロールできれば、正面からは透明に見えても、斜めからは光って奥が見えない素材が作れると思い研究を始めました」(武野氏)
意図的にクレーズを生じさせる研究に取り組んだ武野氏。材料に対して応力を集中させ、張力をかけながら素材を移動させることで、一定の条件でマイクロメートル単位の細かい縞模様が入り、そこにナノサイズの穴が空いた状態になることを突き止めた。角度によって光り方が変わる現象の再現に成功し、その成果は携帯電話の覗き見を防止する視界制御フィルムとして商品化された。
武野氏はフィルムの加工法を確立した後、岐阜県の地場産業でもある繊維業界からの要望を受け、繊維にクレーズを付与する研究に着手。フィルムと繊維は分子の配列方向が異なるため既存技術の応用に苦戦したが、試行錯誤の末、繊維に対しても安定的にクレーズを付与する特許技術を取得した。こうした武野氏の研究成果は、今でもFiberCrazeの技術や生産力を支える大きな強みとなっている。
感染症を阻む機能性繊維の開発
長曽我部氏が武野氏と出会ったのは、大学4年生のときのこと。起業や社会課題を解決する手段に関心を持つなか、研究室配属のタイミングでクレーズの技術を紹介され、「自分にとってすごく光るものがあり、色々なアイディアが浮かびワクワクしながら聞いていました」と振り返る。中でも長曽我部氏が着目したのは、繊維のクレーズに成分を閉じ込める技術。成分次第でさまざまな応用先があることを直感したという。その一つの例が、今でもFiberCrazeが注力している、感染症の予防手段としての活用だ。
「東南アジアではデング熱、アフリカではマラリアが蔓延し、それぞれ数億人単位の罹患者がおり、毎年多くの人々が亡くなっています。感染の一番の原因は、農作業中や寝ている間に蚊に刺されることなので、それを予防したいと考えました。」(長曽我部氏)
現在FiberCrazeでは、蚊を忌避するための防虫機能のある繊維や服、あるいは蚊帳やベッドシーツなどを、現場の研究者や民間企業とも連携しながら開発している。揮発性の高い虫除けスプレーや、直接肌に塗布することにリスクのある薬剤を用いず、防虫機能のある衣類を身につけて蚊を忌避することが人間の健康にとってベストな方法だと長曽我部氏は考えているからだ。また、クレーズを用いて繊維に機能を持たせる技術には、他の手法と比べても優位性があるという。
「繊維に機能を持たせる既存技術の一つに、繊維の原料樹脂に薬剤を混ぜたものから糸を紡ぐ練り込み方式があります。この方式では重量比で数%までしか有効成分を含有できず、無理に含有量を増やすと繊維としての強度が落ちてしまうという課題がありました。対して、我々の技術では繊維の強度を維持したまま、最大20%程度まで成分を含ませることができます。また、繊維の表面に薬剤や成分を塗布するコーティング方式も普及していますが、こちらは効果の持続性に課題がありました。クレーズに閉じ込めた有効成分は洗濯にも強く、成分を放出した後にもスプレーなどで容易に成分を再付与できるため、持続性や再利用性に優れています」(長曽我部氏)
利用する成分を変える際も、クレーズに新たな成分を閉じ込めるだけで良いため、練り込み方式のように繊維の製造段階から作り変える必要はない。クレーズに入らない大きな粒子性の素材や固体、粘度の高いものを除けば含浸成分の選択肢も豊富だ。既存の技術ではうまく繊維に機能を付与できなかったメーカーから依頼を受け、FiberCrazeが素材の研究開発に取り組むことも多いという。
国外の感染症対策のみならず、コロナ禍で抗ウイルス素材の国内需要が高まった。さらに、高齢化で需要拡大が予測される介護業界においては、においの問題が深刻だ。「服を洗ってもにおいが落ちない」という現場の声を受け、においがつかなかったり、繊維の中で分解したりする材料の需要も見込んで開発に取り組んでいる。
技術を社会と結びつけるための学生起業
長曽我部氏は研究室の配属前からビジネスや起業に興味を持っていたという。クレーズに大きな可能性を感じる中、世界で起きている感染症の課題を知り、この技術が解決に活かせると直感。事業のプランを練ってビジネスコンテストに参加し、学外で技術者以外の人たちからも評価されたことで、社会でのニーズを確信したという。起業を果たしたのは2021年9月、大学院在学中のことであったが、学生という立場でのチャレンジに不安はなかったのだろうか。
「最初はとても迷っていましたが、冷静に考えると、学生の立場では失うものがないと思いました。もし失敗したとしても、他の生活手段があるはずですから。どんどんチャレンジできる学生ならではの特権を活かして、良いタイミングで良い技術と出会えたこの環境で起業しようと決意しました」(長曽我部氏)
CTOとしてFiberCrazeに関わる武野氏は、長曽我部氏と出会う以前からクレーズ関連の技術をいくつも確立していた。共同研究の中から覗き見防止フィルムや、マイクロバブル発生装置なども製品化されたが、自身での起業や大規模な事業化に至ることはなかった。企業との共同研究で実用レベルのものが作れたとしても、リスクをとって大きな投資をするプレイヤーを見つけることが難しかったと振り返る。
武野氏によれば、研究者は「このようなことができますか?」と聞かれれば、「できる」と断言する前に例外を探してしまうという。研究者ゆえの誠実な態度は、ビジネスを進めたい相手にとっては不安材料にもなり得ただろう。こうした研究者としての真面目さや事象への探求心はベンチャー的な急進性とは真逆の位置にあるとも言える。
一方の長曽我部氏は起業家として、技術のその先を描くことで、投資家やビジネスパートナーなどあらゆる人を巻き込み、事業の成長と向き合っていく。「起業する前に学生として共同研究に関わる中で、民間企業が求める製品化のスピードや規模感と、学術研究機関である大学との足並が揃わない場面も目にしていました。自分で会社を立ち上げれば、大学とも民間企業とも公平な立場で連携でき、事業として成立させられると思ったのです。自分たちの取り組みに共感してくれている人を増やすことが事業の成長につながると考えています」(長曽我部氏)
武野氏は研究に、長曽我部氏は事業の成長に、それぞれに焦点を定めリスクと向き合い前進していく。「互いの正反対なまじめさがFiberCrazeの成長を支えている」と二人は笑う。
大学で培われた技術を社会と結びつけていくFiberCraze。岐阜大学発ベンチャーとして認定され、現在も大学内に拠点を構えて事業に取り組んでいる。大学発ベンチャーならではのメリットをどう感じているのか。
「私たちのような素材開発型の企業は、実験器具の調達や薬液の処理申請などが必要となり、ハード面をゼロから整えようとすると大きなコストがかかります。大学の施設を借りて事業をスタートできたのは、スタートアップとして非常にありがたいことでした」(長曽我部氏)
武野氏の研究室で学ぶ現役の学生たちも、FiberCrazeのR&D部門で活躍している。学生の働きぶりを知る武野氏は「会社の一員として経験を積むことで、社会性が身につく部分もあり、教育的な効果も感じられます」と語り、学問的な探求と社会実装を兼ねた関わり方には、学生と企業の双方にメリットがあることを教えてくれた。
岐阜から世界へ_機能性素材のブランド確立を目指す
FiberCraze は2023年8月に初の資金調達を実施。Forbes JAPAN 30 UNDER 30 2023に選出されるなど、順調にも見える長曽我部氏にこれまでの苦労を伺うと、「毎日苦戦しているのですが」と前置きした上で次のように答えた。
「最初の頃は特に採用に苦労しました。都市部と違い、スタートアップという業態への理解度が必ずしも高くはなかったからです。また、周囲の優秀な学生たちも、どちらかというと安定志向が多く、就職を選ぶ人が多いように感じます。その分、名古屋や東京に行く機会を設けて、起業している同世代や先輩と関わることに意図的に取り組んできました。自分たちの取り組みを面白がってくれる人を探すことには、今でもしっかり時間を費やしています」(長曽我部氏)
事業が実を結ぶまでの道のりは険しく、当初のプロトタイプでは風合いや着心地などの課題にぶつかったり、創業メンバーが離れる辛い経験もあったという。新素材の開発は難易度が高いが、市場価値が認められれば、大量量産に至る可能性も秘めている。FiberCrazeもまずはパートナー企業と製品を共同開発して市場に投入し、素材の価値を示そうとしている段階だ。その一方で、将来のスケールメリットを最大化するため、岐阜県の繊維メーカーと連携し、量産開発に向けた準備も進めているという。
「将来の消費者向けの展開としては、GORE-TEXをベンチマークにしています。耐久性や透湿性を持つ素材としての認知が確立され、アウトドア用のアウターやカバンなど、様々なブランド製品の材料として使われていますよね。我々も同じように、たとえば介護用のシーツにFiberCrazeの防臭素材が使われていることが一目でわかるような、機能性素材のブランドを立ち上げていきたいです」(長曽我部氏)
武野氏が20年以上にわたって積み重ねてきた研究のシーズと、長曽我部氏が見つけたニーズと熱意が結びつき、今まさに社会に踏み出そうとしているFiberCraze。その技術が世界で役立ち、私たちの手に届く日も、そう遠くはないはずだ。
「衣類に限らず、FiberCrazeの材料が色々なところで使われる世の中になってほしいと思っています。私たちの素材によって、感染症も含めた世界の社会課題を少しでも緩和し、解決に近づけていくことを目指して、これからも素材開発を続けていきます」(長曽我部氏)