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プロフィール
ソニーセミコンダクタソリューションズ株式会社
システムソリューション事業部 丸山杏那氏
2014年に米国大手IT企業に入社。営業として中堅·大手企業を顧客に新規開拓を担当し、テクノロジーを通じた顧客企業の事業課題の解決や事業目標の達成に貢献。2023年にソニーセミコンダクタソリューションズに転職、現在はAITRIOSのEvangelistとして世界中の開発者に向けたAITRIOSの事業開発を担う。米国大手IT企業や在日米国商工会議所でのコミュニティ立ち上げ·運営経験を活かし、AITRIOSを軸とするユーザーコミュニティ·デベロップメントにも従事する。
クラウド依存からの脱却を目指して
ソニーは長年にわたりイメージセンサー分野で世界をリードされてきましたが、AITRIOSの開発·サービス化に至った経緯や背景について、教えていただけますでしょうか。
人間の眼でいう「網膜」のような役割を果たす半導体「イメージセンサー」は、デジタルカメラやスマートフォン、セキュリティカメラなど、私たちの身の回りのさまざまな製品に搭載されています。
ソニーは40年以上前にイメージセンサーを商品化して以来、技術革新を続け、製品への搭載を通じ、社会へ貢献してきました。目の前にある瞬間を美しく切り取る「イメージング」の用途に加え、我々独自の取り組みとして「センシング」領域の開発を加速させています。これは、イメージセンサーで撮った画像から必要なデータを取得して、例えばロボットや産業用カメラ、車載カメラによる識別や検知などさまざまな用途に活用するものです。
今後AIが普及していく中で、パートナー企業がこのセンシング用途のイメージセンサーを使って、より多くのソリューション開発に取り組めるよう促すことが、私たちが次にめざすべきことだと考えAITRIOSをローンチしました。
AIが普及していく中でなぜAITRIOSが必要だったのでしょうか?
まず、現在多くのIoTデバイスを利用したサービスが普及していますが、そうしたサービスを支えるためのインフラとして、クラウドが多用されています。しかし、クラウドへの過度な依存によって、データセンターの消費電力増大やネットワークの高負荷、通信コストの増加など、多くの課題が発生しています。
「データ爆発時代」とも言われるこうした事態に対処するためには、ネットワークを通じクラウドに流れ込むデータ量を減らすことが急務です。そのため、クラウド側だけでデータ処理を行うのではなく、IoTデバイスなどエッジ側で一定の処理をするなど、負荷を分散する形のシステム構築が求められています。
この課題は、特に画像や映像という非常にデータ量の重い素材を扱うビジョンセンシングにおいて顕著です。撮像した画像から必要データを取得する場合、画像のデータ量は、他の温度や湿度などを検知するIoTセンサーからのデータ量に比べてサイズが非常に大きく、コンピュータでも処理が難しいため、ビジョンセンシングを活用したソリューション開発は一般的にもハードルが高いとされています。
クラウドで処理するデータの爆発的増加を防ぐために、エッジとクラウドでの分散処理が求められているのですね。画像を活用したビジョンセンシングの難しさとして、取り扱うデータ量が多いこと以外にどのようなことがありますか?
人間の目であれば、例えば明るいところで見ても、暗いところで見ても「リンゴはリンゴ」だとわかります。
しかし、カメラで撮ったリンゴの画像をコンピュータで認識しようとすると、明度の違いや光の当たり方によってリンゴがリンゴに見えないことがあります。つまり見え方によって同じものだと認識することが難しい場合があり、これが画像(※以下、ビジョン)を活用したAIプロジェクトにおいて高いハードルになっています。
通常であれば、イメージセンサーからのビジョンを推論処理が走っているクラウドに送り、大規模なAIモデルで処理することでようやく何が写っているのかを判定できます。しかし、そのためには膨大なデータを集め、それを使って学習を行うエンジニアが必要となり、これをプロジェクトごとに用意するのはコストや人的リソースの観点でも現実的ではありません。
今後、ビジョンを活用したAIソリューションの開発を加速させるためには、こうしたハードルを取り除く必要があると考え、ソニーならではのエッジAIセンシングプラットフォーム「AITRIOS」の開発に至りました。
AITRIOSとIMX500
ありがとうございます。ではそのAITRIOSについてどのようなサービスかご紹介いただけますか?
まずAITRIOSの対応デバイスであるインテリジェントビジョンセンサー「IMX500」について知っていただく必要があります。
IMX500はAI処理機能を搭載した世界初のイメージセンサーで、画素チップとロジックチップを重ね合わせた積層構造を備えており、ロジックチップ側にAIによる画像解析処理の機能を搭載しています。これにより、対象物についての必要情報を、メタデータ(意味情報)として出力することができます。
画像をクラウドに送信する時よりも、データ量を大幅に減らせるため、クラウドサービス利用時におけるデータ転送遅延時間の低減、消費電力や通信コストの削減を実現しながら、プライバシーへも配慮することが可能となります。
イメージデータを軽くするというと、一般的には解像度を下げるなどデータを間引いてクラウドに送るようなことを想像しますが、そうではなくて、撮像したままのイメージを使ってエッジ側でAI処理までしてしまうということでしょうか?
わかりやすく具体的な例で説明すると、一般的なイメージセンサーを利用したビジョンセンシングでは、例えば人物が何人写っているのかを知りたい場合、撮影した画像データをクラウドに送り、クラウド上でAIモデルを動かし、「人間らしい物体が5人いる」という結果を得ます。
これに対してIMX500を使うと、イメージセンサー側でAI処理を行うことができるので、センサー内で必要な情報だけ(今回であれば、「5」というカウント結果)を取り出し、クラウドにその結果だけ送ることができます。これまでのように大容量の画像データをネットワークに送らず、必要なデータだけを送ることができるため、ネットワークの帯域を占有することもありません。
画像データと単なるテキストデータでは、送信するデータ量の違いは歴然ですね。ではAITRIOSはどのような役割を担っているのでしょうか?
センサーから出力するのがメタデータのみであれば、プライバシーやセキュリティへの配慮という点でも大きなメリットがあり、スマートリテールやスマートシティなどでの活用が期待されます。これらのソリューション開発には数多くのパートナーとの共働が必要となります。AITRIOSは、パートナー企業がこのIMX500を活用し、さまざまなアプリケーションを容易に開発するために活用いただける機能や開発環境などを提供しています。
AITRIOSを使うことでプラットフォーム上でのAIモデル入れ替え·更新といったデバイス管理が可能となるので複数箇所での大規模展開にも適しています。目的とするアプリケーションに応じて、画像をどう識別し、どのようなメタデータを出力として得るのか、ケースバイケースで柔軟な対応を実現します。また、属性を識別するためのAIモデルのサンプルなど、開発に必要なツールや開発環境をワンストップで提供し、共創によるソリューション開発を進めています。
小売、物流業界においても活用が広がるAITRIOS
AITRIOSはさまざまな分野で導入に向けた開発や実証が進んでいるとのことですが、具体的な事例を紹介いただけますか?
AITRIOSの事業は2021年末に開始しましたが、画像を使うAIアプリケーション開発に関する困りごとへの解決策として、このコンセプトに対する反響は非常に大きいものでした。展示会でご覧いただいた多くの方々は「こんな小型のイメージセンサーだけでこれだけのことができるのか」と驚かれています。
リテールの業界におけるユースケースでは、「棚検知ソリューション」が好事例です。棚をイメージセンサーでスキャンして、在庫不足を検出し、補充の指示を出すといった実業務に即したデモンストレーションを実施したところ、AITRIOSによるワンストップソリューションによって簡単かつ少ないリソースで棚検知が実現できると、多くの事業会社から高く評価されています。
具体的な導入事例としては、セブンイレブンでは、デジタルサイネージ(電子広告)の広告効果向上を目的として、「AITRIOSを用いた視認検知ソリューション」を国内500店舗に導入しています。
これは、デジタルサイネージに向けられたお客様の視認を自動検知し、視聴人数や視聴率などを把握するソリューションです。広告効果測定には、試聴した人の属性を知りたいというニーズがありますが、従来はカメラを使うことによるプライバシーへの配慮が課題でした。しかし、AITRIOSを活用することで、メタデータだけを出力し、個人を特定できる画像データを出力しないため、プライバシーに配慮した効果測定が可能です。こうした特徴が非常に高く評価をされ、採用に至りました。
もう一つの例として、物流業界での現場の効率化があります。
倉庫のヤードなどネットインフラが脆弱な場所では、リアルタイムに大量のビジョンデータを送信することが難しく、現場での状況把握や荷待ち時間、荷役作業時間の可視化が困難という課題がありました。IMX500搭載のカメラとAITRIOSを使ってヤードに入ってきた運送トラックのナンバープレートを検知/認識することで入退出情報を受付記録し、従来は管理困難だった荷物の積み降ろし時間の実績データを取得、データ分析によるドライバーの不要な待ち時間や作業時間の短縮に貢献しています。
私たちはAITRIOSを提供するプラットフォーマーですが、ビジョンセンシングの難しさは単なるハードウェア/AIアプリケーションの開発·提供だけでは容易に解決できないところにあります。
実際にソリューションを実装するには、それぞれの産業界に横断的に存在する課題を深く理解する必要があり、AITRIOSでは産業ごとに特化したチームがアプリケーションごとに異なる実態、要件を把握して適切なソリューションの開発·提案をサポートしています。ソニーには、イメージセンサーで培った技術と知見があります。その中で、さまざまな産業に向けたハードウェアの開発経験を重ねてきたからこそ、実際にソリューションを開発·提供するパートナー企業と同じ理解レベルに立って、課題解決のための会話ができると感じています。
ソニーの挑戦――ハードとソフトを組み合わせたリカーリングビジネスへ
AITRIOSは、今後どのような方向に発展していくのでしょうか?普及における課題や社会へどのようなインパクトを与えるかお聞かせください。
ビジョンが担える領域は重要ではあるけれども一部でしかありません。世の中にはさまざまなセンサーがあり、複数のセンサーから得られた情報を組み合わせることで、より正確な結果を導き出す「センサーフュージョン」と呼ばれる技術があります。これによって可能になるアプリケーションがあり、私たちはセンサーフュージョンによってDXが加速されることを目指しています。
しかし、センサーごとにアプリケーションを作るための技術も知見もバラバラであり、センサーフュージョンを実現するための環境を整えることも、その技術を使いこなす人材も現状は限られています。この状況にAITRIOSで一石を投じることができればという思いがあります。
DXの領域であれば、センシングで人の目を補うだけではなく、さまざまなセンサーを組み合わせることによって生まれるものがあると考えています。例えば、他のセンサー群から取得できるデータと組み合わせることで、省人化や無人化の加速に貢献できます。IMX500は今後もAITRIOSにとって重要な製品になりますが、それ以外のソニー製センサーも将来的にこのAITRIOSプラットフォームに接続できるようにしていきたいと考えています。
AITRIOSにはパートナーが開発したAIモデルやセンシングアプリケーションを登録したり、利用したいものをダウンロードする機能を用意しており、このように入手·開発したセンシングアプリケーションをAIコンバーターを介してIMX500に実装することができます。さらに、今後はAITRIOS上で構築したセンシングアプリケーションの結果を外部のシステムに簡単に連携できるよう、さまざまなSDKを提供していく予定です。
私たちは、IMX500/AITRIOSによってビジョンセンシングの利活用が広まることで、センサーフュージョンの実現に貢献しようと考えています。これからもセンサーフュージョンがもたらす新たな価値が社会に認められるように、パートナー企業の方々とともに成功体験を積み上げていきたいと考えています。
ありがとうございます。では最後に、AITRIOSにかける想いをお聞かせいただけますか?
AITRIOS事業には、ソニーにとっての挑戦という意味もあります。これまでのイメージセンサー事業はハードウェアを売る「モノ売り」が主流であり、イメージセンサーのシェアは業界トップを維持しています。しかし、今後の事業戦略として、技術力の差異化をさらに高めるためも、私たちの強みであるイメージセンサーとソフトウェア技術を組み合わせて、モノをコトとして売る「コト売り」、継続的な利益を生み出す「リカーリングビジネス」との両輪を目指しています。
そのためには、お客様への付加価値を高める取り組みが必要です。お客様ごとの業界特性やニーズをしっかりと把握し、フィードバックをサービス展開に繋げる活動が、AITRIOS事業の成功に大きく寄与すると考えています。エンドユーザーを含むステークホルダーとの対話が非常に重要です。
私たちは、これからAITRIOSの活用事例を多数作り出すことを目指しており、AITRIOSを活用して価値を生み出してくださる仲間を広く求めています。定期的にAITRIOSのミートアップを開催し、アイデアをお持ちの方々に実際にAITRIOSに触れていただく場を提供しています。ハードウェアのセットアップから、AIモデルをプラットフォーム上で開発してハードウェアにデプロイし、検出結果を可視化するまでの一連の作業を体験できますので、興味のある方はぜひご参加ください。