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マテリアルズ・インフォマティクスとは
マテリアルズ・インフォマティクスとは、製造業における製品設計にビックデータやAI、機械学習などのデジタル技術を活用することで、材料開発の効率化を図る取り組みを指します。
これまでの材料開発は研究者の知識や経験に依存しており、既存の研究を基にシミュレーションや実験を何度も繰り返しながら材料を試作し、その都度、物性評価を行うというプロセスが必要でした。このプロセスにはかなりの手間や時間がかかり、一つの材料を開発するのに10年以上の年月を要するケースもありました。
マテリアルズ・インフォマティクスでは、情報科学の技術を活用することによって開発にかかる期間を大幅に短縮できます。コンピューター上で膨大な論文データや実験データを解析したり、原始配列などの特性を計算したりすることで、効率的に材料探索を進められるのです。
マテリアルズ・インフォマティクスは、最新のデジタル技術を用いるという点で「材料開発のDX化」ともいえるでしょう。研究者のスキルに最新のデジタル技術が加わることで、材料開発の分野における飛躍的な進歩が期待されています。
マテリアルズ・インフォマティクスが広まった背景
マテリアルズ・インフォマティクスは、2011年にアメリカでオバマ元大統領により提唱されました。その後2015年にはEUでNovel Materials Discovery(NOMAD)が開始され、アジア各国でも取り組みが推進されるなど世界的な広がりを見せています。
日本では、2014年にSIP(戦略的イノベーション創造プログラム)「マテリアルズ・インテグレーション」が開始され、材料開発に情報科学の技術を活用する取り組みが進みました。2016年にはNEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)において「超超プロジェクト(超先端材料超高速開発基盤技術プロジェクト)」がスタートし、本格的にマテリアルズ・インフォマティクスを推進する動きが加速しています。
マテリアルズ・インフォマティクスが日本で特に注目されるきっかけとなったのが、マサチューセッツ工科大学とサムスン電子社による次世代バッテリー全固体電池の共同研究です。
これまでの課題を解決する材料の開発が各企業で精力的に進められている中、サムスンはマテリアルズ・インフォマティクスを用いて、わずか1年という短期間で開発に成功したのです。実験によるトライ&エラーを繰り返すプロセスが当たり前だった材料開発において、シミュレーションまですべてコンピューター上で行っていたことは、業界に大きなインパクトを与えました。
日本では、まだ大手企業に限定されがちなマテリアルズ・インフォマティクスの導入ですが、今後は一般企業へも浸透していくと考えられます。
マテリアルズ・インフォマティクスの必要性・メリット
マテリアルズ・インフォマティクスを導入するとどのようなメリットが得られるのでしょうか。
次項で以下3つのメリットを紹介します。
- 精度の高いシミュレーションが可能
- 研究を効率化
- 研究開発の採算性・実現性を見える化
精度の高いシミュレーションが可能
マテリアルズ・インフォマティクスは、原子スケールで材料開発を考えられるため、より精度の高いシミュレーションが可能となります。
機械学習によってあらゆる物質の電子状態を短時間で予測できるようになったため、これまで数日かかっていたようなものでも、わずか数秒でシミュレーションが可能になりました。結晶構造や分子振動の相互作用を考慮し、より精度の高い予測を行うことで、予備実験などのプロセスを省略できるというメリットもあります。
研究を効率化
AIの導入により計算速度が格段に上がり、シミュレーション精度が向上するため、開発過程において試行回数を減らすことができます。その結果、研究にかかっていた時間を大幅に削減でき、材料開発の効率化につながります。
マテリアルズ・インフォマティクス導入前と比較した場合、製造工程を導き出す時間は半分以下まで、試行回数は数十分の一まで減らせるといわれています。将来的により多くのデータが集まれば、さらなる時間短縮と効率化を期待できるでしょう。
研究開発の採算性・実現性を見える化
材料開発の分野では、開発の成功までに数年という長期間にわたることも珍しくはありません。採算性や実現性が不透明であるために、予算・計画の立案が課題となっていました。
しかし、マテリアルズ・インフォマティクスでAIを活用することで、過去の実験データやシミュレーションデータを基にした採算性・実現性の見える化が可能になりました。予算を確保するために必要となる明確なエビデンスを作成できるため、開発計画をスムーズに立案できる点も大きなメリットだといえるでしょう。
マテリアルズ・インフォマティクスの成功事例
国内でも、すでにマテリアルズ・インフォマティクスの活用に成功している企業が存在します。以下に、4つの成功例を紹介します。
旭化成
総合化学メーカーの旭化成株式会社では、多くの製品開発にマテリアルズ・インフォマティクスを活用し、人材育成も含めて積極的にマテリアルズ・インフォマティクスの強化に取り組んでいます。
マテリアルズ・インフォマティクスの活用により、ポリエチレン原料の製造に必要な高性能触媒の開発を成功させたほか、従来は数年かかるとされていた新しいポリマーの開発をわずか半年で成功させたという実績もあります。
また、旭化成では、マテリアルズ・インフォマティクスの技術を習得した「MI人財」の育成に力を入れています。研究員がマテリアルズ・インフォマティクスを実践できる環境として、社内クラウド教育システム「MI-Hub」を構築し、機械学習やコンピューター言語の教育を実施してきました。その結果、コロナ禍で在宅勤務中の研究員でも開発期間の短縮に成功するという成果を挙げています。
東レ
大手化学企業の東レ株式会社は、マテリアルズ・インフォマティクスを活用することで、炭素繊維強化プラスチック(CFRP)の開発において、大幅な期間の短縮に成功しました。
CFRPのように難燃性と力学特性を両立した素材の開発には、膨大な実験データが必要なため、開発期間が長期にわたるという課題がありました。しかし、マテリアルズ・インフォマティクスを用いることにより、特性から材料設計を絞り込む逆問題解析手法を駆使し、短期間で材料を開発する技術を確立したのです。
その結果、通常2〜3年かかっていた開発を、わずか1年程度と大幅に短縮することに成功しました。
NEC/東北大学
NEC(日本電気株式会社)と東北大学は、独自に開発したマテリアルズ・インフォマティクスの活用により、スピン熱電材料の熱電性能向上の実証に成功しました。
NECと東北大学は、メリーランド大学と共同で、ロボティクス技術による自動実験の仕組みと解釈可能な機械学習を組み合わせた「開発者が解釈可能なマテリアルズ・インフォマティクス」を開発してきました。しかし、機械学習側で実験データの不完全性を考慮する仕組みがなかったため、材料開発の効率が上がらないという課題を抱えていました。
そこで、新たに材料の特性向上に関わる無数の要因から主要因を効率良く抽出する手法を開発し、この手法を適用したシステムを活用することで、高速かつ高精度な開発を実現させたのです。
システムを用いて膨大なデータが可視化されることで、研究者が物理現象や因果関係をより理解しやすい環境となり、今までになかった新材料の発見につながることも期待されています。
横浜ゴム
タイヤ・ゴムメーカーの横浜ゴム株式会社は、マテリアルズ・インフォマティクスを活用したゴムの配合設計システムを開発し、実用を開始しました。
このシステムは、目標とするゴムの物性値を満たす配合をAIが提案するもので、システムを用いることにより研究者だけでは思いつかなかった配合などの新たな知見を得ることができます。研究者の技術や経験とAIが協奏しながら開発に臨むことで、開発のスピードアップや商品性能のさらなる向上を期待されています。
マテリアルズ・インフォマティクスの課題
業界に革新をもたらすマテリアルズ・インフォマティクスですが、普及していく上では課題も存在します。
専門人材の確保
マテリアルズ・インフォマティクスを活用するためには、化学・材料分野の専門知識だけでなく、AIや機械学習などIT技術領域への深い理解が必要です。かなり専門性の高い知識が求められるため、これらを兼ね備えた人材の確保が課題となるでしょう。
一般企業でマテリアルズ・インフォマティクスを実用化するためには、やはり自社の社員が基本的な知識を押さえておく必要があります。そのため、機械学習やコンピューター言語の教育といったデジタル教育に力を入れ、マテリアルズ・インフォマティクスを実践できる人材を育成することが大切です。
データ不足・管理の負担
マテリアルズ・インフォマティクスを有効活用するためには、取り扱うデータの質と量が担保されていることが重要です。
材料開発の最適解を導き出すためにAIがデータを参照しますが、このデータの質が悪いと、「質の悪いデータに基づいた質の低い結果」となってしまいます。また、参照するデータの量が不足していれば、十分な解析ができません。
そのため、シミュレーションや実験など多角的なアプローチで得た、高品質かつ膨大なデータを蓄積する必要があるのです。膨大な量のデータ入力や頻繁な更新が求められるため、データ管理の負担が大きくなる点が課題となるでしょう。
こうした課題を解決するためには、自社データを早期から整理しておく、データ入力をサポートするための機能を導入するといった対策も有効です。
データ保護の必要性
マテリアルズ・インフォマティクスでは研究所や企業の機密データを扱うため、データの秘匿化が必要になります。
マテリアルズ・インフォマティクスの活用において、近しい研究分野のデータを集積することは相互に良い影響をもたらしますが、一方で競合相手に漏らしたくない機密情報もあることでしょう。マテリアルズ・インフォマティクスが広く普及していくためには、こうしたデータをオープンにせず、秘匿化して活用できるような仕組みが必要となります。
マテリアルズ・インフォマティクスの今後
材料開発における技術革新として注目されているマテリアルズ・インフォマティクス。大手企業を中心に導入されているのが現状ですが、将来的にはより幅広い業種、規模のメーカーへ浸透していくことが予想されます。
マテリアルズ・インフォマティクスの活用により材料開発の効率化が実現すれば、企業における人材不足の解消や労働環境の改善にもつながることも期待できます。
そのためには、データの管理や秘匿性などの課題を解決しなければなりません。こうした課題に対しては、データの取り扱いに関する指針の策定、データを活用できる共用施設や設備の整備など国としても力を入れて取り組んでいます。マテリアルズ・インフォマティクスが材料開発のスタンダードとなる日も近いのではないでしょうか。
まとめ
情報科学を活用して材料開発を行う「マテリアルズ・インフォマティクス」を導入すると、これまでより精度の高いシミュレーションができる、研究期間を短縮できるなどのメリットが得られます。導入にあたってはいくつか課題も存在するため、人材育成やデータ管理の見直しなど、解決に向けて自社でできることから取り組んでいくことが大切です。